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第4回 FIRE28年史-1 1998-2010 リーマンショックを食らったよ

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目次

はじめに(または まとめ)

1998年~2010年まで、失敗の約束された第1期です。
FIREを目指すこと自体は悪くないと思うのですが、、、行動がよろしくない。

貯金で種銭を増やす
   ↓
ろくに調べずに購入する
   ↓
まぐれ当たりで過信する
   ↓
種銭を追加してもっといい加減に購入する
   ↓
下落にパニックで思考停止
   ↓
耐えきれなくなって投げ出す

独身の時に始めたので、失うものがなくイケイケ(というより無謀運転)
家族が増えてもそこに思いは回らず。。。
負けるためにやったとしか思えません。
ザ・養分。

皆さんは堅実・慎重派ですか?

何が起きたかはこの後に。それではご覧ください。

第0期 8歳の導火線

皆さんが投資と最初に出会ったのはいつですか?何がきっかけですか?

僕は8歳冬の「人生ゲーム」でした。ボードゲームのあれです。
「サラリーマン月給8,000ドル?安っ」と罰当たりを口にしてました。
さて、このゲーム「株券を買える」マスがあります。最初は1枚1,000ドルで段々上がっていきます。暴騰/暴落もありますが、ゴールまで持っていると1枚70,000ドルになります。「株って儲かるんだ」という刷り込みです。
証券口座を開くことにためらいがなかったのはこれが原体験にあるからですね。

お盆で帰省した時に引っ張り出してニコとやりました。「無断欠勤でクビ」、FIREの前にFIREされました。

第1期 はじまり ▲6万円→2,000万円→1,500万円

1998年

「どしゃ降り」就職活動で、根拠のない楽観から連戦連敗。 「今だって、この先働くようになっても嫌な思いをするだろう。お金があればそうした苦痛を回避できる。それはいくらなの?」と現実逃避をしていました。

1999年~2000年 ▲6万円→200万円

どうにか就職も決まったものの、入社日に給料が出ると思い込んでいて貯金は0。あれこれと発生する支出に対応できません。これが第1回の父親に「6万円貸して。初任給で返すから」です。当然一人暮らしなどできるわけもなく、実家から片道100分の通勤で社会人生活を開始。仕事+通勤でお金を使う暇がなく、貯金は増えていく日々でした。

2001年 投資開始

「種銭」ができて、念願の投資開始です。
・さわかみファンドで月1.5万円積み立て(途中で2.5万円に増額)
・DLJディレクトSFG証券(現:楽天証券)に口座開設
■買った株と買った理由
 東京ガス→初めて買った株⭐「小泉改革の規制緩和で巨大エネルギー会社が誕生する」と妄想。

 ナムコ→「興味のあるものを買え」と雑誌のアドバイスに素直に従いました。当時エースコンバットに夢中。
 ※バンダイとの合併報道でストップ高しましたが、売るタイミングがわからずそのまま。

 トヨタ自動車→「潰れるときは日本終了。そのうち上がるでしょ」

 どれもチャートも業績も見ないで買ってました。
 このころ売買手数料2,500円もしてました。今はゼロ。ずいぶん変わりました。

2002年~2005年 家族の変化

2002年

結婚。お金の管理については「財布は別々。でも年1回状況共有」となりました。
この「決算」は飛び飛びだったり立直・順子片方だけだったりしながら2007年まで続けてました。

2004年 安愚楽牧場

マネー雑誌の広告を見て「和牛委託オーナー制度」に順子さん名義で100万円出資します。
年利4%・満期4年・申込特典として牛肉。2回目の配当のあった2006年秋に100万円追加申し込みします。毎年配当が入り気をよくしていましたが2010年夏に雑誌で告発があり(でも広告で見ただけ。読めよ自分)、数か月「100万円没収かも」とおびえて過ごしました。翌年破綻。弁済は5%だったと聞きました。

2005年 転機

立直がIT商社に転職をします。
少しですが退職金が出たのでマネックス証券に口座を開設し、「トヨタ・バンガード海外株式投信」を購入。この当時、海外株へのアクセスは初心者にはハードルが高かったんです。これはその代替でした。長男一通も同時期に誕生。
お祝いは一通名義で銀行口座を作って貯金しました。児童手当もここに。本当ですよ、証券口座作ってないですよ、「この時は」。

2006年~2007年 大失敗と成功のタネ

大失敗

このあたりから「働かないで暮らせるようになりたい。どうやって?→投資しよ!」が自分の中で根付き始めます。東京ガス・トヨタも含み益が拡大(ナムコは2006年9月に+15万円で利益確定)。気が大きくなり始め、「手っ取り早く儲けたい」と思うようになります。情報収集も紙メディアからWEBにシフト。

この慢心気分の中、「2ちゃんねる」の投資板で「ドリームインキュベータ(以下DI)」を見つけてしまいます。ポジティブな内容しか書いてない推奨を読んで、「これだ」と3月に最初の購入、悪決算で下げたのに「そのうち持ち直す」と根拠なく言い聞かせて4回ナンピン。下げ相場に付き合い続けます。購入総額200万円。いくら負けたかは終盤に!

成功のタネ

春山昇華さんと広瀬隆雄さん(当時は二人とも違うハンドルネームでした)のブログに出会ったのもこの頃でした。BRICSについて詳細な解説記事を読み、シュローダーの「BRICSファンド(3か月決算型)」を購入します。イケイケの広瀬さんと冷静な春山さん。両方読んでバランスを取っていたつもりですが…

2008年~2010年 リーマンショックを食らったよ 2,000万円→1,500万円

東場家FIRE第1期ピーク時の合計資産は約2,000万円までいきましたが、2007年8月のパリバショックくらいから下り坂になります。それでもDI以外は含み益もあり、「もっと儲けたい!」で頭がいっぱいの僕には、春山さんの「もう十分儲けたでしょ。私は全面撤退」が響きません。フルポジションのまま2008年9月のリーマンショックを迎えます。

ーーーーそしてリーマン・ブラザーズ破綻。みるみる下がる株価、投信基準価格。でも動けません。自分の中に基準が全くなかったから。「まずいまずいまずい」と「どこかで戻すだろう」がごちゃ混ぜのまま月日は経っていきます。BRICSファンドは3か月決算だったので、この期に及んで「12月の配当金をもらってから売ろう」と考えたりしています。無配だったか少し出たのか記憶はありませんが、1月に決済したときには当然さらに下げて▲200万円。他は目を背けて確認せず約2年「なかったこと」に。

仕事のほうでも、2008年に激務のプロジェクトにアサインされてしまいます。2009年に残業90時間超が3か月連続し、心身変調でプロジェクトを離脱。2010年夏に実母を亡くし、ここで完全にギブアップ。東京ガス(ほぼトントン)とDI(▲175万円)をぶん投げます。さわかみファンドも同じタイミングで売却(どうにか+20万円)

このほかにマネックスで「中国株ファンド」を持っていたのですが、2010年夏はまったく記憶になく、2013年に売却▲30万円。

実現損失としては200+175+30=▲405万円ですが、「上げたところから真っ逆さま」なので、▲600万円くらいの体感でした。投資金額が半減したイメージです。

ため息と暗い顔の日々に
そんな風になるなら投資なんてするな!真面目に働け
と順子さんにどやされました。

この年次男のチャン太も生まれたのです。
4人家族になって幸せではないのか!
減ったけどゼロでもマイナスでもないだろ!

返す言葉がありません。
FIREを目指す第1期はここに終了となりました。

記事を書くために勇気を出して取引履歴を見ましたが、これだけ経っててもズキズキしました。
底なしに下げていくあの感じ。見るたびに減る資産。一度で十分です。

リーマン・ブラザーズが救済されていたら世界はどうなってたんでしょうね。
皆さんはリーマン・ブラザーズ破綻の時に何をしてましたか?

次回予告

今回はFIREに至る28年の前半部分を時系列で書きました。

その時々でどんなことを考え、どんな行動をとったか。皆さんが今いる位置と比べて参考になればと思います。僕の失敗を「馬鹿でぇ」と笑いながら、皆さんは回避してください。こんなの増える必要はありません。

次回は、それでもやっぱりFIREを目指す第2期を書きます。
なぜ再起動するのか?
第1期の失敗から何が変わるのか、何をしたのか?
投資のスタイルや家族の理解は?子供の成長とともに増える出費は?
お楽しみに。

使用画像:© Antoni Shkraba Studio / Pexels

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この記事を書いた人

東場(とんば)です。首都圏在住の5人家族。今は会社勤め。
28年かけてFIREにリーチ。
上がりに向けてやってきたこと、これからの一手も書いていきます。
あなたの選択肢が、少しでも広がればうれしいです。

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